カテゴリー「沖縄」の20件の記事

2009年9月19日 (土)

おばあからの荷物

沖縄のおばあから「沖縄そば」「ソーキ」「三枚肉」「シークワサー」「タコライス」「島バナナ」「ポーク缶」などなどが届きました。
本当は「マンゴー」を送るつもりだったらしいのですが、手頃なものがなかったそうで残念。

生そばは、その製麺所の場所がそのまま銘柄になっていることが多いのですが、僕たちが好きだったのは「山原そば」。
「だった」というのは数年前、その製麺所はそばの製造を止めてしまったから。

_dsc0514 今回送られてきたのは2種類の銘柄。
その中の一つがなんと「山原そば」。
でも、見るからに以前の山原そばとは全然違いました。太めの平麺はほとんどきしめんのよう(画像は山原そばではない方)。
製麺所を確認したら沖縄では大手の製パン屋さん。どうやら名前だけを引き継いだのですね。どうせなら味や形も引き継いで欲しかったなあ。

2種類の麺とも、かみしめても味がありませんでした。
昔の麺は噛めば噛むほど「そばの味」がしたものですが・・・。

うちの妻は、三枚肉を煮てラフティをつくろうとして、ナベを火にかけたまま、庭仕事をして・・・「チャーシュー(もどき)」を作ってしまいました(泣)。

_dsc0504 画像の「久米島の久米仙」は、僕が作っておいた「コーレーグース」。
寝かしすぎて「コーレーグースの古酒」になっていました。
高く売れそう(笑)。

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2009年7月16日 (木)

A家食堂

P7100173 去年、ずーっと昔の(忘れかけていた)知り合いが沖縄料理屋を開店させたのを地元のメディアやフリーペーパーで知って、行こう行こうと思っていながら、なかなか行けなかった。

すべての写真はOLYMPUS PEN E-P1にて撮影。アスペクト比6×6。アートフィルター・トイフォト。近頃はいつもこれ一台。ちっちゃくってかわいいし、かなり気に入ってます。

P7100177 彼女は昔、確かツアーコンダクターをやっていて、沖縄にはまっちゃったんだったよな。
ボクも沖縄を熱く語ったような記憶もかすかに・・・でも、遙か以前過ぎてほとんど覚えていないけど。
確実なのは、その後彼女は旅行代理店を退職し、単身沖縄に行き、那覇の某有名老舗沖縄料理店で働き始めたっていうのを、彼女の両親から聞いていたこと。

そんなことをいろいろと考えながら、訪ねた彼女の店の名は「A家食堂(えいやしょくどう)」。

P7100178 通りの看板のイラストとロゴがとってもかわいい。
うわっ!壁面には「Aサイン(知ってる?)」まであるし(笑)。
赤塗りのドアとステンドガラスもおしゃれ。
などと思いながら、店内に入ると座敷とカウンターが。

P7100174 海外育ちのボクは(大嘘!)、座るのが苦手なのでどこに行ってもカウンター。
そこに座った瞬間、調理場の中から「久しぶりです!」って元気いっぱいの笑み。
覚えててくれたみたいでビックリ。

P7100185 忙しい中、ちょっとだけ思い出話。
彼女が沖縄に行く前にぼくが「りんけんバンド」のテープをダビングしてあげた(らしい・忘れてました)のが、なんと18年も前(らしい)。
彼女は二十歳だったそうです。

彼女は今、二人の子をもつシングルマザー。
18年っていう歳月にはいろんな事がありましたよね(お互いに)。
でも元気いっぱいで、夢を一つずつ現実にしている素晴らしい女性です。
大変だろうだけど、子育ても仕事も頑張ってね!。
ボクも疲れたときには、また「あーや」に元気をもらいに行きます。よろしくです。

P7100186 昼のメニューは
沖縄そば各種 600円より
ぬちぐすい(日替わり)定食 980円
沖縄焼きそば 
タコライス などなど
夜はもっといろいろ食べられますし飲めます(笑)。

これでいわき市内にも沖縄料理が食べられるところが3店。
昔からお世話になっている、沖縄県人御用達「ママちゃんめんそーれ(平・2町目)」、まだ行ったことのない「やいま(平・白銀町)」。
でも、昼間開いているのは「A家食堂」だけなので、湯本(ハワイアンズがあるところ)方面にいらっしゃる方はぜひ!。

ボク的には3店のうち一カ所でも、「民謡酒場」化してくれればなぁ。夜に月一でもいいから・・・。

DATA
沖縄そば・料理の店「A家食堂(えいやしょくどう)
いわき市常磐湯本町天王崎38(JRいわき湯本駅前)」
0246-84-7420

営業時間・11:00〜15:00
            ・18:00〜24:00(夜は木・金・土のみ)
定休日・水曜日、第3日曜日

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2007年9月20日 (木)

明日から

あのー、先週ぐらいから一日のアクセス数が急に増えているんですが、何かありました?まあ、アクセスしていただくのはとってもうれしいのですが、ちょっと気になって・・・。

明日から、沖縄です。
NU151便 08:45福島ー11:35那覇 だから島に着くのは夕方近くかな?
ちょっと風邪気味だけど、島に行けば治るはず。

できる限り更新します!

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2007年9月 4日 (火)

バースデー割引が・・・

9月はボクの誕生月。

今年は家族で下旬の連休(21〜25日)に沖縄に里帰り
本当は、ちょっと家計が厳しくて躊躇したんだけれど、「おじいの法事があるから必ず帰ってきなさい」と言われて。

でも幸いなことにボクの誕生日の数日前ということで、「バースデー割引使って・・・」と思ったら、あれ?ない、バースデー割引

調べたら4月で廃止になったって・・・。知らなかったぁ。
しょうがないから早得割引を使ったけど、それでも福島〜那覇のその差一人片道8,300円(早得23,300円、バースデーだと15,000円だったはず)。
つまり往復16,600円、家族4人だから・・・うわっ、66,400円!!痛いなぁ・・・。

普通、子供が学校に行っていると、帰れるのって夏休みや冬・春休みしかないのに、その期間て、早割すらなくなっちゃうんだよね(福島〜那覇便。羽田からだと時間帯によってはあるのに)

儲けられるときに儲けるのはわかるけど、なんとかならないのかなぁ。

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2007年6月16日 (土)

別れの煙

別れの煙

別て旅行きば 嬉さ寂しさん
思じゃしよ産子小 島ぬ事ん
ちゃー忘んなよ

糸ぬ上ゆ走る 船に立つ煙
山ぬ端に向かてぃ 我親目当てぃ
ちゃー かりゆしど

山ぬ端に立ちゅる 照らし火ぬ煙
嘉例吉ぬ船に 産子目当てぃ
ちゃーかりゆしど

別り路ぬ手巾 胸内に招ち
互に思み切らさ 見ゆる間や
ちゃー名残りさよ

親子振別りぬ 照らし火ぬ名残り
面影どぅましゅる 名護ぬ城
ちゃー名残りさよ

初期のネーネーズのプロデュースで知られ、『現代沖縄民謡の唄者(うたしゃ)第一人者、知名定男』のお父さんである『故・知名定繁』が作った『別れの煙』。今日までいろいろな人に歌われています。

戦前は移民として南洋へ、その後も生活のために沖縄から本土へ沢山の人々が海を渡りました。
那覇港から出航する際、近くなら見送りも出来ますが、山原(やんばる=本島北部)の人たちは見送りが出来ない。
そんな時、船が沖を通るであろう頃合いを見計らって、高台で火を焚き、その煙に航海安全の気持ちを乗せて見送った情景を歌っています。

Ieこの歌を聴くと、初めて伊江島に出向いて妻の両親に結婚の許しを乞い、二人で島を出る日、丘の上でいつまでもいつまでも、船が見えなくなるまで白いハンカチを振ってくれていた両親を思い出します。
そんな両親も義父は5年ほど前に他界し、義母が一人で暮らしています。帰ってあげたい気持ちだけ強くって、なかなか帰れない甲斐性なし、情けないです。ごめんなさい。

別れ旅立つのなら うれしいときも寂しいときも
思い出しておくれ我が子よ 島のことを
絶対に忘れないでおくれ

水平線を航海していく 船に立ち上る煙
山の端に向かって 両親に見えるだろうか
どうかお元気で

山の端に立ち上る 照らし火の煙
かりゆしの船の 我が子に見えるように
幸せに、元気でな

別れる時に振ったハンカチを 胸にしまって
お互い名残惜しさを断ち切らなくては
でも、見えている間は・・・

親子の別れを惜しむ照らし火
面影がますますよみがえる 名護の城
ああ本当に名残惜しい

大城美佐子の10年ぶりの新しいアルバム『唄ウムイ』にも収録されています。
ぜひ聞いてください。

Photo_8 本土に向かう飛行機に乗るとかなりの確率で伊江島を見ることが出来ます。画像手前側(西側)の大部分は米軍『Ie Range』、その上のラインは補助飛行場とほとんど使われていない『伊江空港』。

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2007年6月14日 (木)

白雲節(しらくむぶし)

白雲ぬ如に 見ゆるあぬ島に
飛び渡てぃ見欲さ 羽ぬ有とてぃ 

飛び鳥ぬ如に 自由に飛ばりてれ
毎夜行ぢぃ行逢てぃ 語れすしが

吾が思むる無蔵や 白雲ぬ如に
見ゆるあぬ島ぬ なひんあがた 

我がや思み尽くす だきに思ゆしが
渡海ゆ隔みりば 自由ねならん 

たとい渡海隔み 離りいや居てぃん
白雲ん乗して 想い知らさ 

一人淋々とぅ 眺む白雲ん
無蔵姿なとてぃ 忘りかねてぃ

Photo_5 これは『故・嘉手苅林昌』の十八番(おはこ)、『白雲節』です。
現在は『女嘉手苅』と言われているボクが大好きな『大城美佐子先生』らによって歌い継がれています。
レベルは低いですが、ボクもよく弾く曲の一つです。

白雲のように見える あの島に
今すぐ飛んでいきたい 羽があるならば

空を飛ぶ鳥のように 自由に飛べるなら
夜ごとあなたに会いに行って 語り合いたい

私が思いを寄せる あなたがいるのは 
白雲のように見えるあの島より もっともっと遠いところ・・・

と恋心を切々と唄っています。
男性が唄うときは上の歌詞のままですが、女性が歌う場合は『無蔵(んぞ)=男が彼女を言い表す言葉』を『里(さとぅ)=女性が思いを寄せる男性を言い表す言葉』に変えて歌います。

Photo_6 『美ら弾き』といわれる嘉手苅林昌の三線と飄々とした歌もいいですが、大城美佐子の情を込めた独特の歌い方がボクは好きです。機会があれば、せひ聞き比べてみてください。

あぁ、沖縄に行きたくなってきた。

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2007年5月23日 (水)

工工四

Photo 三線の楽譜です。
『工工四(くんくんし)』といいます。
三線が中国から琉球に渡ってきたのが1390年頃、しばらくの間は楽譜というものが存在せず、師弟の間で口から耳、耳から口へ歌い継がれていたそうです。
『工六四(くるるんし)』や『工工四』が作られたのは400年近くたった一八世紀半ばといわれています。

三線はギター類と違ってフレット板が無いので、押さえるところは『勘所(かんどころ)』といわれています。
工工四にはその勘所が記号のように羅列されています。

弦(チル)は太い糸から『男弦(ウーヂル)』『中弦(ナカヂル)』『女弦(ミーヂル)』といい、男弦の開放が『合』、中弦が『四』、女弦が『工』。
あとは面倒くさいので省略。

調弦(チンダミ)=チューニングは数種類あって、よく使われるのは『本調子(合=ド、四=ファ、工=ド)』、と『一二揚げ(合=レ、四=ソ、工=ド)』かな。

チンダミさえ合わせてあれば、あとは適当に音を拾っていけば弾けるでしょう。なんといっても『勘所』ですもの。

とは言っても、知らない曲を工工四だけを頼りに弾くのは至難の業です。リズムがよくわからなかったりして・・・。

「知らない(歌えない)唄は弾くな」ということかもしれません。
沖縄の民謡は「まずありき」。あくまで唄が主で、三線は従。「一度唄いだしたら三線は止めても、唄は止めるな」と言われるくらいですから。

Photo_2

こんな感じで「記号」が羅列されています。この中に歌い出しや歌い終わり、繰り返しや強弱、技法などが全て書いてあるのですよ。

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2007年5月22日 (火)

三線

最近、暇があると『三線』ばかり弾いています。
撮影の時も車に積んで出かけます。
スタジアムの駐車場でも、実家がテナントで入っているビルの屋上でも弾いています。
端から見たら、怪しい人かもしれません。
Sanshin_1
写真はコンパクトデジカメのマクロモードで撮りました。
スゴイよね、最近のコンデジ。

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2007年5月 9日 (水)

生きてました!その2

生きていたついでにもう一つ。
ずーっと以前に削除したはずのホームページがなぜか生きていました。

Apple(Mac)にはフォトグラファー用ソフト『Aperture 1.5』というものがあるのですが、その中の「瞬時にWeb上に作品を公開できる『Webギャラリー』」という機能を試した際に気がつきました。
前に自分でアクセスした際には消えていたので、理由はよく分かりません。

内容は2シーズン前、つまりマリーゼ(Mareeze)が誕生した当時のプレーヤーの紹介ものです。
これも何かの偶然ですから、ちょっとの間だけですが閲覧できるようにしておきますね。

各選手や試合の思い出、エピソードなどがあればぜひコメントください!
ホームページこちらへ

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2006年10月 6日 (金)

パイパティローマ 南波照間

Yuuhi_2 南の果ての波照間島。

昔、彼の地に住む人たちは『島の南にはパイ(南)パティローマ(波照間)というこの世の楽園がある』と信じていた。

同じような『南への憧れ』は、与那国島では『ハイ(南)ドナン(与那国)』、沖縄本島では『ニライカナイ』と呼ばれ、各地で口承されている。

黒潮(クルスー)によって、南から流れ着いたいろいろな恵み。 海の向こうに神の国があり、幸福は海からやってくる。
波照間の太陽は海から昇り、海に帰ります。Nikon D200 VR18-200  絞り優先AE F8  -0.7EV

Uminoiro 島から見える海の色や夕日を眺めていると、海の向こうにそんな楽園が本当にあるような気がしてきます。

美しいグラデーションの遙かに見えるのは西表島。Nikon D200 VR105/2.8 絞り優先AE F5.6 -0.3EV

写真の夕日はもちろん西。西表島は北の方角。波照間や与那国から南下するとフィリピンにたどり着きます。以前、琉球大学教授が『ムー大陸は沖縄にあった!』とする説を唱え話題になりましたが、もしかすると『パイパティローマ』ってムー大陸だったのかも・・・。

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2006年10月 5日 (木)

波照間島

『パティ(果て)』の『うるま(サンゴ礁)』=『パティローマ=波照間』
その名の通り、有人島としては日本最南端の島。

人口600人弱、周囲14.8km の島は
全部で88ある星座のうち、86の星座が見えるという 星の島。
さとうきび畑がどこまでも広がる 緑の島。
抜群の透明度の海が広がる 碧の島。

Satoukibi_1 今回は超大型(最大風速69.9m!その後回線が途絶えたため実際はそれ以上だった かも)台風13号の直撃を受け、緑に覆われているはずの島は、風と潮で痛めつけられた樹木や倒れてしまったさとうきびで『茶褐色の島』になっていた。
瓦や石垣の修繕をしている家も多く、その被害と被災には心を痛めてしまう。

何事もなかったように照りつける太陽と穏やかな波音に包まれて、一日も早い回復を願うばかりだった。

〜民宿が取れず、泊まったところは一泊2,000円の素泊まり宿。3人相部屋ということでとても不安だったが、思ったよりも居心地がよかった。夜は宿泊者が集い、宿前の路上で車座になり星空の宴。
そのまま横になると、天の川がくっきり見える満天の星空。伊江島の夜空もきれいだけれど、波照間はたぶん日本で一番きれいな星空だと実感した。ちなみに南十字星が見えるのは12月から6月頃までだそう。

同宿していた人たちも様々で、東大生、フツーの会社員、結婚を間近に控えた本屋さん、民宿のヘルパーをしながら離島を渡り歩いているお姉さん、フリーター・・・ほとんどが一人旅同士だった。
利害もなく世代や職業を超えて語り合う時間って旅でしかできないんだろうな!ボクにとって初めての体験だったけど、すごく楽しかった!

Awanami 〜泡盛が好きな人にとって幻の『泡波』。オークションでは2〜3万で取引される泡波も、波照間の人たちにはふつうの島酒。観光客が瓶で買うことはよほどタイミングがよくないと叶わないけど、食堂や港では300円から500円程度(八重泉や請福など一般の泡盛と同じ値段)でふつうに飲むことができます。

Koregusu 港のターミナルにある食堂『海畑(イノー)』で泡波の瓶にコーレーグース(島唐辛子の泡盛漬け=ソバなどに入れる)が入っていたので、まさかと思いつつも「おばちゃん、このコーレーグースって泡波で作ったの?」と聞いたら、「そんなわけないでしょ!ナイチャーが喜ぶから瓶だけ使ってるのよ!」と予想通りの答えが返ってきた(島内の食堂のほとんどが泡波の瓶にコーレーグースを入れている)。

Nishihamajpg 〜北の浜(ニシ浜=沖縄では東(あがり)西(いり)南(ふぇー、はい、ぱい)北(にし))。
リゾート化されていない波照間の海は、沖縄本島や石垣島の海よりもさらに美しい。そしてその波照間を代表する浜がニシ浜。時間帯によって色を変えるニシ浜の海は一日いても見飽きることはありません、たぶん。

DATA:RICOH GR-DIGITAL 28mm/F2.8 Auto 露出補正あり

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2006年10月 4日 (水)

高速船

石垣島の離島桟橋から波照間行きの高速船に乗る。

Kousokusen 時折波を受け 大きな水しぶきをあげながら
豪快に波を切って進む船は特攻船のよう。

船窓はしぶきが付いて外が見づらい。

揺られ揺られて小一時間、群青の海がエメラルドグリーンに変わると
日本最南端の島、波照間島が迎えてくれる。

Hateruma



RICOH GR-DIGITAL 28mm/F2.8 Auto

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2006年10月 2日 (月)

機上の人

2000kmを隔てた 憧れの地へ
日常からの逃避

ボクを包み込む 眩しい光を求めて
機上の人となる

Unkai




 

静まりかえった 穏やかな雲海は
やがて 表情を変えていく

Unkai2_1






Camera:  RICOH  GR-DIGITAL  28mm/F2.8  AUTO

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2005年10月 5日 (水)

沖縄の青い空の下

沖縄本島南部の糸満市摩文仁にある「沖縄県平和祈念資料館」に行ったことがありますか?

kinenkan沖縄旅行というと「青い海と青い空」だけを求めて、琉球王国としての歴史や文化にも触れずに帰ってしまうという人も多いようです。
抜けるような青い空、アダンや芭蕉などの緑、穏やかなエメラルドグリーンの海を見ていると「癒しと平和」を感じることができるでしょう。
でもここは60年ほど前、市民を巻き込んだ史上最悪の地上戦が繰り広げられた地でもあるのです。

沖縄戦で尊い命を落としたのが200,656人(米軍を含む)。うち沖縄出身者が122,228人でその中の94,000人が一般市民でした。そして本島最大の激戦地がこの摩文仁で、一般市民の3人に1人が命を落としたといわれています(伊江島では島民の何と2人に1人がなくなりました)。

資料館には、『「琉球」が「日本」に併合(1879年)されてから戦争に巻き込まれるまで〜戦時中〜敗戦から占領下』と時系列にしたがい、当時の資料や米軍の記録写真や映像、生活用品や兵器、などによってわかりやすく再現・展示されています。

syougenそして何よりも、戦争体験を綴った証言集の部屋は、体験した人でなければ語れない生々しい言葉で満ちています。『鉄の暴風』をかいくぐってこられた彼ら彼女らの言葉に、戦争の無意味さ、凄惨さを改めて思い知らされます。

歴史、特に近代日本史の解釈は人それぞれです。
ただ私は全ての人が、「その時、起こったこと」、特に「沖縄であったこと」を知ってもらいたいんです。

今も世界のどこかで起きている戦争・・・それを早く終わらせ、2度と争いのない世界を作るため・・・青い空を戦火で曇らせないために・・・

もちろん「知った後」どんな解釈をするか、どんな行動をするか・・・それはその人の自由ですが。
isizi
平和祈念資料館を出ると『平和の礎』があります。礎の上には青い空が広がっていました。何もなかったかのような空が・・・。

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2005年10月 2日 (日)

沖縄の貝塚と石灰岩

沖縄の貝塚 「貝塚」って見たことありますか?近くに貝塚があれば小学校の授業でいったかも知れませんね。そして、そこにある貝は大体が「ムラサキガイ」のようなクロっぽい2枚貝ではありませんでしたか?ボクの記憶はそんな感じ。

ieminato 伊江島の港の建物が「はにくすに」という名称で新しくなった事は以前に書きましたが、そこはターミナル港(というほど大げさじゃないけど)としての機能の他、いくつかの研修室、結婚式も可能なホールなども備わっている立派な建物です。

tennzisituその一室が資料展示室になっていて、伊江島で発掘された石器や人骨、鹿の骨、それらの解説などが展示されています(伊江島って古代の遺跡が結構沢山あるんです)。

kaiduka そこに、「貝塚の貝」も展示してありました。写真はその画像ですがどうです、種類の豊富さ、大きさ、本土の貝塚と違いますよね〜。それを見て風土の違い=文化の違いは古代からなんだろうな、と改めて思ったひとときでした。そして、これ以上本土化の波にのまれず沖縄文化は素晴らしいものとして残ってくれたら・・・思いを巡らせた瞬間でした。

sekkaigan ところでその「はにくすに」ですが、外壁に伊江島産の「琉球石灰岩」を使った「素晴らしい(素直?皮肉?)」建物です。そしてその「石灰石」をよく見ると「巻き貝」や「フジツボ」などを見つけることができます。

沖縄は大部分が「隆起珊瑚礁」でできた島ですから、石灰石=珊瑚なのですよね。貝が混ざっていても不思議じゃない。どこを削っても「石灰岩」がとれる。北部の名護市には大規模な採石場があり、近くには大きなセメント工場が稼働しています。 ですから土壌自体アルカリ性のため、土に埋もれたものが酸化しにくい=保存性がいい=貝塚や人骨が残りやすい・・・港川人が発見された理由もここにあるようです。 当たり前のことですが忘れてしまっていて、子供たちと一緒に改めて知った1日でした。

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2005年10月 1日 (土)

国際通りと公設市場

本土に暮らしていると「沖縄の街」といえば「那覇」、「那覇」といえば「国際通りと市場」を連想しますよね。観光客ももちろんそうでしょ?

ボクらも今回、久しぶり(数年ぶり)に国際通りと市場に行きました。いつもまっすぐ島に帰って、島からもまっすぐ空港に行ってしまうので那覇には全く立ち寄らなかったんです。
で、ビックリしたのは国際通りのお店の変化。昔は珊瑚屋さんや琉球漆器のお店なども沢山あったのに、今は「おみやげ屋さん」のオンパレード。しかも、同じ会社の同じ店が同じ品揃えで何店舗も・・・弱肉強食というか、淘汰というか。うぅーむ、どんなモンだろ。

逆に昔と余り変わっていないのは「公設市場」。オバァやネーネたちがたくましく働いていました。並べられている魚もお肉もおいしそう!。
おなかがすいたので2階の食堂に〜ココは8件ぐらいの食堂がブースを作って営業しています〜「相変わらず観光客がほとんどだなあ」と思いながら一件を選び、食べ収めの「沖縄ソバ」と「ゴーヤチャンプルー」と「近海魚のさしみ盛り合わせ」を注文し、一口食べてまたまたビックリ!「マズイッ!」。息子も妻も「ウッソでしょ!こんなまずいソバ生まれて初めて」。だしすら全く効いていない。「さしみ」もなんで近海魚の盛り合わせの半分近くが「マグロ」なの?どうして「グルクン」とか「イラブチャー」とか入ってないの?

あーあ、たぶん公設市場に来る観光客たちの半数ぐらいは「市場でご飯」を目的にしている→そこで「まずいソバを食べる」→「市場の食堂はおいしい」とガイドブックに書いてあるのに「まずい」ということは→「沖縄ソバはまずい」と認識する→「沖縄の食べ物はまずい」と判断する→本土に帰って「沖縄は食べ物がだめでねー」などと話す・・・こんな図式が出来上がるのではないかと心配です(実際に旅行から帰った人たちが「食べ物がねー」と話すのを聞いて、否定とその理由を説いたことが何度あることか)。悲しいよー!。
あっ、もちろん、「市場の食堂が全部だめ」というわけでは決してありません、誤解なきよう。

hatobaそれに比べて伊江島の「はとば食堂」のうまかったこと。伊江島の港のすぐそばにあり、オバアとネーネが二人で切り盛りしている小さな食堂で、夜になると船員さんたちで一杯。ソバはもちろん、ふーチャンプルーなどのチャンプルー類、さしみ、そして魚汁が絶品。庶民的沖縄料理を語るなら、こういうお店で食べてからにしてね、観光であっても。

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2005年9月21日 (水)

島の暮らし

まだ島にいます。伊江島という島です。

沖縄に旅行にきた人のほとんどは、本島北部の「海洋博記念公園(美ら海水族館)」に行ったと思いますが、そこから海を隔てて見える島が伊江島です。

umi2沖縄本島からは5キロほどしか離れていませんが、離島の生活がそこにはあります。
不便な面も多々ありますが、本島以上の海の透明度、人情、そして自然などそれを補って余りある島です。

特に海のきれいさはダイバーたちにも有名だそうで、ダイビングをするために島に定住するナイチャー(本土の人たち)も多いんです。ダイビングサービスも島に5件ぐらいありますから。

伊江島には離島としては唯一「米軍基地(IE RANGE)」があります。昔は島の半分近くが接収されていましたが徐々に返還され、といっても今でも島の面積の25%以上が米軍のために使用されています。
「米軍基地がある」ということは国からも「特別予算がはいる」ので、地方自治体の村としては「裕福な」村の一つでしょう。1日4往復だけなのに大型フェリー(片道30分ぐらい)を2隻持っていますし、フェリーの発着場も2年前に豪華に建て替えられました。

ただ、一番気になるのが「自然が減っている」事。村の予算を「建設に使う事で村全体の景気を下支えする」ために自然の海岸線をコンクリートの岸壁に変えてみたり、砂浜を埋め立てて漁港を整備してみたり、誰も遊ばないような公園をあちこち作ってみたり・・・。

もちろん、ここで暮らす人たちにとって重要な予算の使い方であって、すんでいないボクたちがどうこう言う問題ではないのかも知れません。ただ、島に来るたびに「自然が減っている」事に気が付く、それって寂しいことです。
yagi2
話は変わって・・・うちの近所に柵が作られ「山羊」が飼われていました。山羊は沖縄ではヒージャー」と呼ばれていて、昔から滋養食とされています。那覇などでは「山羊料理専門店」があるぐらいです。
とっても可愛い親子だったのでちょっぴり可愛そう。

島の産業も変わってきました。島の基幹産業は「サトウキビ」でした。しかし、現在ではたばこ栽培と花卉栽培が主流になりました。

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2005年9月19日 (月)

おいしいお店、おとくなホテル

昨日(18日)、島に帰ってきました。
急遽泊まった那覇のホテルは、ツインの部屋にエキストラベッドを入れてもらって1万円という格安ホテル。値段からして「全く」期待していなかったホテルだったのですが、チェックインしてビックリ!部屋は広いし、きれいだし、海が見えるし、その上朝食まで付いていました。家族4人ですから一人あたり2500円。ココはおすすめです。

mise島には「本部(もとぶ)」というところからフェリーに乗って約20分。午後3時の船を予約したので、「母のお見舞いと食事をしてから行こう」ということでいった食堂は「名護曲(なぐまがい)」。ここは本島北部の名護市にあり、止まっている車の8割は地元の車。

入り口には地元で採れた野菜や果物、店内には泡盛や食材などがところ狭しと並んでいます。そしてそのまた奥に食堂とさしみ屋さんがあります。

tennaiボクたち家族は、さしみ盛り合わせ、ゴーヤチャンプルー、みそ汁(具だくさんの、これ自体がおかず)、ソーキそば、そしてグルクンの唐揚げを注文しました。

「沖縄でさしみ」っていうと「熱帯魚の刺身なんて食べられない」という人がいますが、それは間違い。獲れたての魚のうまいことっていったらありません。
そしてグルクン。これは県魚にもなっている魚で、唐揚げが絶品!ああ、うまかった。うちの子供たちも魚好きなので「奪い合い」であっという間になくなりました。
沖縄に限らずどこの観光地でも本当においしいお店、いいお店って、なかなかガイドブックに載っていないんですよね。
dragon
県産品の「ドラゴンフルーツ」も山積み。一個250円でした。




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2005年9月18日 (日)

中秋の名月in首里城

沖縄に着きました。一年ぶりの沖縄です。
子供たちも「海と釣り」を楽しみにしていたのですが、昨夜「母が本島の病院に入院(実家は離島にあります)」ということで、急遽那覇に一泊することになりました。

お見舞いに行く途中、「ソーキそば」で有名な我部祖河食堂に寄り、久々の「沖縄そば」を食べました。沖縄には「そば」の名店といわれる店が各所にありますが、「観光化」すると味が落ちてしまう気がします。そう考えると、昔首里にあった「さくら屋」というお店のそばは絶品でした。おばあが毎朝粉をこねて、おばあ一人で作れるだけ食べさせてくれるそばは、噛めば噛むほど「本当のそばの味」がしました。おばあの引退とともに閉店してしまった「さくら屋」。あのソバの味が忘れられません。
soki
写真は「我部祖河食堂」のソーキそば。沖縄そばにソーキ(沖縄版豚のスペアリブ?)をのせたのはここが元祖だそうです。

17日は中秋の名月。
夕方からは首里城「琉球王朝 観月の宴」が催されました。首里城をバックに子供たちの三線(さんしん)や歌・踊りがあり、その可愛い(そして上手)演技に大きな拍手が送られていました。そしてその後、琉球民謡の名手たちによる組踊りや琉球舞踊が繰り広げられた頃には大きなお月様が首里城の真上に登り、大勢の観客はその幻想的な舞台に酔いしれていました。
観月会は18日まで開催され、最終日には一般公募から選ばれた「琉球王と王妃」による「首里城入り」が再現されるということです。
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写真は子供たちによる三線演奏。とっても上手で可愛かった!

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2005年9月 1日 (木)

ところで「きじむなあ」ってね。

きじむなあについて少しだけ説明すると・・・
沖縄に住んでいる木の精(妖怪という人もいるけどあくまで妖精、一字違うだけで印象まるで違うし)で、山原(ヤンバル・本島北部)では「ブナガヤとかセーマ」とも呼ばれています。

身長は1メートルぐらい、赤毛でおかっぱ。
ガジュマルの古木には必ずすんでいる(ハズ)。子供が大好き。
魚獲りの名人で、魚の目が大好物。嫌いなものは「おなら」。

いたずら好きで、ガジュマルの木の下で昼寝をしていると上から押さえつられて身動きができなくなります(これって金縛りだよね)。でも、「恐怖なんか感じなかった」と経験者は口をそろえます。「きじむなあが来た」とわかるそうです。

妻も子供の頃、何度も経験したそうです。「いつ頃からだろう、きじむなあが見えなくなったのは・・・」


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